HISTORY 歴史

モダン都市の礎は、古くから栄えた温泉地の歴史

歴史|ザ・パークハウス宝塚
宝塚には遠い昔から人々の営みがあり、「塚」と呼ばれる多くの古墳が点在しています。地誌によると宝塚の名は「塚の近くで拾い物をすると必ず幸せになれる」との故事から付けられたそう。温泉地の歴史も古く、歌人藤原光経が宝塚にあった小林の湯を訪れ和歌に詠んでおり、鎌倉時代の初期から京の都にも知られていました。

歌人が湯を訪れ和歌に詠んだ地

歴史|ザ・パークハウス宝塚
近代の宝塚温泉は、1884年に武庫川右岸で発見され、1887年に開業されました。そして、1911年には武庫川左岸に大浴場を持つ新温泉が開湯。武庫川を挟む両温泉が宝塚に多くの人を呼び込み、その後も多彩なレジャー施設が誕生し、街を発展させました。近年もスタイリッシュなスパ施設がオープンするなど、新しい進化をみせています。

宝塚の発展に拍車をかけた鉄道 小林一三の沿線開発

歴史|ザ・パークハウス宝塚
温泉開業後の1897年に阪鶴鉄道(現在のJR宝塚線)が、明治末には箕面有馬電気軌道(現在の阪急宝塚線)が開通しました。箕面有馬電気軌道を開通させた小林一三(阪急電鉄の創設者)は、宝塚新温泉・宝塚ホテル・遊園地・宝塚唱歌隊(後の少女歌劇団、現在の宝塚歌劇団)など、さまざまな施設を開設。宝塚は家族で楽しめる街へと発展していきました。
※参考文献・出典:宝塚市編集・発行「宝塚温泉物語」、宝塚市ホームページ

阪神間モダニズムの起点の一つ  新しい生活文化を築いた宝塚

歴史|ザ・パークハウス宝塚
1925年、大阪は人口世界6位の大都市へと発展。大阪に住まう人の中には、より良い住環境を求める傾向が高まり、実業家や文化人、芸術家らが宝塚をはじめ阪神間に住宅や別荘を建てて住むようになります。上方の伝統文化が息づく商都・大阪と、外国人居留地を拠点に西洋文化が早くから浸透した港町・神戸との間に位置する阪神間。そこには、欧米の文化が流入し、伝統と革新、日本と西洋が交錯して生まれた新しい生活文化が育まれました。それが、ファッションや娯楽、建築をはじめ多方面に影響を及ぼした「阪神間モダニズム」です。

宝塚の景勝地と謳われる「見返り岩」を臨む河畔に

歴史|ザ・パークハウス宝塚
阪神間モダニズムは、都心にほど近い郊外で清新な空気に包まれて暮らすことが起点になりました。その代表的な場所のひとつが宝塚です。現地は、景勝地と謳われる「見返り岩」を目の前に臨む地。かつては、千歳橋が架かり「愛の松原」と呼ばれた松林が広がる風光明媚な地で、宝塚八景のひとつに数えられています。水と緑の潤いが織りなす、そんな非日常の雰囲気を湛えたこの地こそ、心豊かな生活を紡ぐ阪神間モダニズムの継承にふさわしい一画です。
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